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展示

企画展
戦後80年
ー富士正晴と戦争ー

富士正晴と戦争チラシ
会期:令和7年3月25日(火曜日)から令和7年9月28日(日曜日)まで

ごあいさつ

戦後80年、昭和元年(1926年)から数えて100年を本年迎えるにあたり、このたび令和7年度の展示テーマを「戦争」といたしました。なお本年は、巷で盛んに喧伝されている三島由紀夫生誕100周年(富士正晴が彼の作家デビューに貢献)、そして来年は富士正晴の文学生活を陰で支えた妻・冨士静栄の生誕100周年にもあたります。昭和19年(1944年)2月、数え年31歳の富士正晴のもとに臨時召集礼状が届きます。同年5月に大陸の戦地に赴き、昭和21年(1946年)5月に帰還します。この間、中国戦線において一兵卒として戦争を体験。この体験は、戦後の富士正晴の文学的出発に大きな影響を与え、これまでの詩の世界とは全く異なった文学的モチーフを展開することになります。反戦でも厭戦でもない富士正晴の戦争文学の展開。身に降りかかった困難も受容しようとする中国の民衆を通して、戦争という非日常的事態を徹底した日常レベルで把えようとする。その手法によって、富士正晴は戦争の不条理とそれに耐える人間のしたたかさを浮き彫りにします。戦後も遠征した中国への関心はやまず、数多くのエッセイを書き、中国文化大革命に関する新聞切抜を熱心に続けました。本年度の1年を通した展示は、前期と後期の2期に分けた企画になっています。前期は戦時下の同人雑誌「三人」の廃刊に至るまでの経緯、富士正晴の応徴・出征、野間宏、北脇島雄(軍医・戦死)、中村晃(戦死)ら同人の出征前後の様子、正晴の編集・装幀活動を通しての大山定一(独文学者)、桑原武夫(仏文学者)、伊東静雄(詩人)、高安國世(歌人・独文学者)、若き三島由紀夫らとの交流などを取り上げ、戦時下の社会的風潮を描写します。後期は戦争体験に基づく「帝国軍隊における学習・序」(直木賞候補)「一夜の宿」(従軍中自らに課した「鉄の規則」を活写)に代表される数多くの戦争小説・エッセイなどを取り上げ、富士正晴が辿り着いた戦後の文学活動に迫ります。富士正晴や周辺の人びとの日記、書簡・書籍(三島由紀夫著『花ざかりの森』初版本の実物展示など)、写真(野間宏の婚礼写真など)、寄書(狩野君山の直筆実物展示)、「芭果冊子」(富士正晴私家本)などの見逃せない貴重な資料をもとに富士正晴の交友関係と時代の空気を感じ取っていただければと思います。富士正晴が見た「戦争と平和」の世界をどうぞごゆっくりご鑑賞・ご堪能下さい。

富士正晴記念館
令和7年(2025年)3月

展示目録

【同人雑誌「三人」の廃刊まで】

  • 「三人」草創期同人4人の写真、師・竹内勝太郎の葬儀写真(1935)
  • 「悪年だった昭和10年」自伝抄富士正晴「同人雑誌四十年」<12>読売新聞1977.7.29自作切抜
  • 「榊原紫峰と『三人』」同上<13>1977.7.30「端正な表紙に救われる」<14>1977.8.1自作切抜
  • 「開戦から敗戦まで…」<15>1977.8.2自作切抜
  • 「本日本刻春の犠牲到着。島公自ら包みをとくとて…」正晴宛伊東幹治・北脇島雄葉書1941.1.24
  • 「色々仕事してもらって済みません。ところがまたも用事です」伊東幹治宛正晴封書1941.2.29
  • 「会計の金額とその如何なるかを詳細返事して下さい」伊東幹治宛正晴葉書1941.12.27
  • 富士正晴「竹内勝太郎刊行會の解散」「三人」第二十六号1942.2
  • 「三人」第二十七号後記1942.4…「前の記念号を見る前に野間、北脇、高林は兵士となった」
  • 「三人」第二十八号(最終号)1942.6
    • 富士正晴「廃刊の言葉」「『春の犠牲』*について」*竹内勝太郎詩集
    • 目次
    • 最后の後記…竹内先生の『詩論』『宗教論』の上梓はこの号がでればとりかかることになってゐる」

【応徴までの富士正晴】

  • 「富士君の徴用のこと、ただ、健康のことを心配します」正晴宛野間宏葉書1943.2.8受取
  • 寄留地簡閲点呼参會願1943.3.20…在郷軍人の訓練を受ける
  • 「弘文堂は三月末止し…石書房、七丈書院の顧問となった」1943.6.30日記
  • 「桑原武夫を訪問…『山の本』*承知した」1943.7.2日記*桑原著「回想の山山」編集正晴七丈書院刊1944.4
  • 「芭果冊子」なる私家本を5冊ほど作成*し、お世話になった尊敬する先生や知友に呈上1943.9から44.2頃
    *現在確認されるのは「芭果居冊」(堀内博に贈られ、当記念館蔵)、「芭果山大冊」(大山定一に贈られ、大山家蔵)、「芭果冊子」(高安國世に贈られ、日本近代文学館蔵)のあわせて3冊。芭蕉研究の「芭果會」に因んだ名称と推定
  • 「九月八日簡略な婚礼を行ふ…十月十九日徴用令により体格けんさにゆく」1943.10.19日記
  • 「十八年十二月九日応徴第二國光寮に入り…職場は圧延部なり」1944.1.22日記☆「いろいろ思ひあり…わいろ横流し、官憲の腐敗、資本家(大小)の暴状」1944.2.8,11日記

【富士正晴の出征】

  • 「マーシャル群島にての某中将以下四千五百名の玉砕…本土空襲も最近の将来に必至ならん」1944.2.27日記
  • 「午前四時…電報配達のもたれせしは臨時召集のしらせをふるさとより知らせ来れるなり」1944.2.28日記
  • 「二月二十八日…上洛し、大山定一、狩野君山公翁、高安國世、西谷啓治、上野照夫訪問」1944.3.2記
  • 「二月二十九日…紫峰、始更、にあひて帰宅…夜ともつどひて余が歓送会なり」同上
  • 「三月一日この日、夜船にて母と正夫と出発せり」同上
  • 「三月三日桃の節句西部第三十三部隊高木隊二班に入隊。新しき人生はじまるべし」1944.3.3日記
    →五月五日中支派遣歩兵四十師団第二百三十五聯隊に転属
  • 「昭和十九年五月十七日外泊にて帰宅十八日出発五月二十一日屯営出発」1946.5記か
  • 富士正晴軍服姿(1944.5.17撮影)と高安國世の写真説明「週刊読売」1975.8.15(自作切抜)
  • 富士正晴従軍路(『富士正晴文学アルバム』富士正晴記念館刊2002.1.31)
  • 富士正晴出征寄書(縮小複写)
    1. 狩野君山直喜*、高安國世、西谷啓治、河本敦夫、上野照夫、榊原紫峰、榊原始更、大山定一、伊東静雄、堀内徹也、堀内博、井口浩1944.2.28,29分*「わたしの好きな書跡狩野先生の温情」朝日新聞1969.9.27
    2. 三島由紀夫、伊東静雄、高安國世1944.5.17分
  • 富士正晴入営後の営庭集合写真
  • 検疫連名簿歩兵第二百三十五聯隊第一機関銃中隊
  • 「従軍証明書『マラリア(三日熱)ノ既應症アリ』」「善行証書」1946.5.19発行
  • 富士正晴が自らに課した従軍中規則「鉄の規則/附則」(「一夜の宿」初出『VIKING』42号1952.7より)
  • 富士正晴が従軍中携帯した飯盒・水筒

【戦時下の編集・装幀の活動を交えて】

  • 伊東静雄(詩人)との交流注意:日記出典:桑原武夫・富士正晴他編「定本伊東静雄全集」人文書院刊1971.11
    • 「春の犠牲*昨日到着、この上ない出来栄えにて」正晴宛伊東静雄葉書1941.1.28*竹内勝太郎詩集
    • 「本と、原稿紙たんと、有難う、あれだけあれば一年は大丈夫です」正晴宛伊東静雄葉書1941.4.9
    • 「春のいそぎ等。装幀ご工夫願ふことたのしみです」正晴宛伊東静雄葉書1943.3
    • 「『詩論』ありがたふございました…お伺して弘文堂との交渉のことなど報告」正晴宛伊東静雄葉書1943.4.4
    • 「四季より『林富士馬論』返送してきて、編輯会議に難色あった由です」正晴宛伊東静雄葉書1943.6.27
    • 「先日平岡公威君からあなたのお骨折りよろこんだ葉書来ました」正晴宛伊東静雄葉書1943.9.17
    • 「富士君来校、帝塚山に登り二時間位話し、神の木で別る」伊東静雄1943.9.30日記☆「昨日富士君来て、徴用になったといふ。早速行ってみたら林君*来てた」同1943.10.16日記*林富士馬
    • 「富士君の結婚披露會…集るもの、林、堀内、上野、高安、石原、井口君ら」同1943.10.17日記
    • 「本*もつて富士君に行ったが留守、玄関のたたきの上においとく」同1943.10.29日記*「春のいそぎ」
    • 「富士君から電話、土曜、京都で、桑原、大山氏らと出版(春のいそぎ)記念會やらうと云ふ」同1943.11.4日記☆「富士君学校に迎へに来て…北野社頭で桑原、大山両氏と落合ふ…記念の文字を書き合ふ*」同1943.11.6日記注意:墨書:大山定一(独文学者)、桑原武夫(仏文学者)、伊東静雄、富士正晴
    • 「富士学校に来て、召集があり三月三日入隊といふ」同1944.2.28日記
    • 「富士君の家に行く、大山定一、高安國世、堀内兄弟来てゐる。フグの馳走で送別會。歌ふ」同1944.2.29日記
    • 「富士正明[正晴の異名]いよいよ大陸(中支)に出征するといふ…平岡と一緒に富士を訪問…千代紙を切つていた。平岡の本*の装幀の図案である」同1944.5.17日記*三島由紀夫の『花ざかりの森』◇高安國世(歌人・独文学者)との交流☆「富士正晴と『若き日のために』」松村正直著『高安国世の手紙』六花書林刊2013.8.11
    • 「『三人』や野間君を通じてもうかなりよくお馴染みの感じ」正晴宛高安國世封書1942.1.20
    • 「装幀*の家での評判を紹介します」正晴宛高安國世葉書1943.5.27*『若き日のために』
    • 「木版も何だかわからないけれどおもしろく拝見」正晴宛高安國世封書1943.10.3
    • 「『若き日のために』は、組み上って見て三七〇頁になったから三〇〇頁にして…」正晴宛高安國世葉書1944
    • 「君の骨折ってくれたものだから…まづきれいな本になりさうで安心した」正晴宛高安國世葉書1944.2.11
    • 「去る十一日に教育召集で応召したのですが即帰になり相変らずの生活」正晴宛高安國世葉書1944.3.17
    • 『若き日のために』高安國世著(表紙・装幀:富士正晴)七丈書院刊1944.7.30…「はじめに」で正晴へ謝辞
  • 三島由紀夫との交流
    • 「お目にかゝれなくて残念です。三島君のもの御はげましください」正晴宛蓮田善明葉書1943.5.5
    • 「三島君の作品集*の件、よろしくお願ひします」正晴宛蓮田善明葉書1943.8.14*『花ざかりの森』
    • 「七丈に富士さんのお言葉をいたゞけば、大船に乗った気持になれます故、至急七丈の御店主へ、その旨御葉書をお出しねがへれば幸甚でございます」正晴宛平岡公威(三島由紀夫)速達葉書1944.1.26消印
    • 「應徴、さらに應召されたのちも、恰かも故郷にのこしてきた愛し児のやうにこの書の成行を案じて来られた」(『花ざかりの森―跋に代へて』三島由紀夫著七丈書院1944.10にて富士正晴へ謝辞)

【「三人」同人の出征前後】

  • 野間宏(マラリア感染により1942年中頃帰還原隊復帰)
    • 「小説『青年の環』一部、お送りします。蝸牛欄に入れてください」正晴宛野間宏葉書1940.3.30
    • 「『青年の環』小説は今後のせないことにしました。検閲の方針が非常に…」正晴宛野間宏封書1940.10.13
    • 「お会いして、『三人』のことについて話し合ひたいと思います」正晴宛野間宏葉書1941.1.2
    • 「竹内勝太郎論整理したいのですが、先日兄が応召し…」正晴宛野間宏封書1941.7.14
    • 「竹内勝太郎論は、古いのは余りいいのがないやうです」正晴宛野間宏葉書1941.7.23
    • 「『春の犠牲評』東大新聞に書きました…いま小説に力を集中してゐます」正晴宛野間宏封書1941.9.29
    • 野間宏軍隊時代写真
    • 「教育召集で、三ヶ月間、二三部隊へはいることになりました」正晴宛野間宏封書1941.10.15
    • 「愈々きまりました。多分、八日か九日かと思ひます」正晴宛野間宏封書1942.1.4
    • 「こちら*へ来ました…『三人』の人々にもよろしく」正晴宛野間宏葉書1942.2.7*中支派遣淀第四〇七三部隊
    • 「作戦*のため、書簡が停止となり、『三人』記念号、御手紙其外頂きながら全く御返事ができませんでした」
      正晴宛野間宏葉書1942.5.16*比(フィリピン)派遣軍渡八二〇三部隊
    • 「日本がいま、思想的に、重大な時期に面してゐることが感ぜられ…」正晴宛野間宏葉書1942.10.10
    • 「小包有難う。リルケで元気をとりもどした。頭がぬぐはれた」正晴宛野間宏葉書1943.5.21
    • 野間宏・冨士光子(正晴の妹)婚礼写真1944.2.4注意:媒酌人:高安夫妻。野間友人として井上靖参列
    • 「お元気で入隊(正晴)された由、喜んでゐます」正晴宛野間宏葉書1944.3.19
    • 「竹之内は水兵として出発し、Fは中支にいる。Aはスマトラに、Iは満州に。」野間宏メモ1944.6.29
      (「野間宏作家の戦中日記」藤原書店刊2001.6.30)
  • 北脇島雄(戦死1943.8.5)
    • 『三人』会計報告(正晴宛北脇島雄封書1940.3.14)
    • 北脇島雄入営送別会写真(井口、正晴、伊東幹治と撮影)1942.1.22
    • 陸軍徴集入営*の挨拶状(正晴宛北脇島雄封書1942.2.9消印)*静岡中部第三部隊飯塚隊
    • 「去ル十日軍医学校に入校致しました。当校の生活は楽しく…」正晴宛北脇島雄葉書1942.5.21消印
    • 「三人廃刊残念ですが、仕方がないと思ひます。高林も元気の由」正晴宛北脇島雄葉書1942.5.28消印
    • 「休暇ガアリマシタノデ尋ネテ参リマシタガ御留守デシタカラ…」正晴宛北脇島雄置手紙1942.8
    • 「出発の日は未定ですがマレ半島へ行ってきます」正晴宛北脇島雄置手紙1943.1.23
    • 「無事任地*到着…竹内さん詩論おめでたう…私は毎日碁と将棋」正晴宛北脇島雄葉書1943*フィリピン
    • 「北脇島雄南海にて戦死とのまよりきく…北脇のすぐきこころを思ひ起すこと万々」1944.2.7日記
    • 「伊東幹治と二人に背負ひ走りたりき北脇島雄いまはなしばや」1944.2.15日記
    • 「北脇島雄が死んでゐるにも不拘わたしと会話するゆめ…をみた」1947.2.26日記
    • 北脇島雄詩集(「三人物故詩人四人集」収録1960.12.8井口浩・VIKING CLUB発行)
      • 「長女厚子に」『三人』二十六号1942.2
      • 「岩蔭の小日向」『三人』二十七号1942.4
      • 「悲しみ」(厚子二歳正月)同上
  • 中村晃(戦死1945.5.17)
    • 「三人最終号御苦労様でした。有難くいただきました」正晴宛中村晃封書1942.7.3
    • 「陣中御見舞胸をうたれて、その后どうですか…圧延の方は、力のある人に…」正晴宛中村晃封書1944.2.19
    • 「教育召集で赤阪一ツ木町東部一九五一部隊に入隊することになりました」正晴宛中村晃葉書1944.3.16
    • 中村晃詩「めざめ」「ひとだから」に対する正晴添削中村晃1943.6から44.3「記録」
    • 「晃は廿年五月十七日ミンダナオ、ダバオにて戦死の旨の公報」正晴宛堀口太平(晃兄)封書1947.8.5
    • 中村晃詩集(「三人物故詩人四人集」収録1960.12.8井口浩・VIKING CLUB発行発行)
      • 「港にて」1940.1作F(富士正晴)批評『三人』二十一号1940.5
      • 「火葬」1940.5作F(富士正晴)批評『三人』二十二号1940.9
      • 「牛のゐる風景」1942.3作『三人』二十八号(最終号)1942.6
    • 「両親」(中村晃に)富士正晴作同上

【戦時中の所蔵レコード】

  • 大日本国民体操/大日本女子青年体操
  • 童謡兔のダンス/童謡肩たたき
  • 歌謡曲空の船長/航空日本の歌
  • 童謡雨傘・唐傘/童謡満州ノゾキ眼鏡
  • 朝日新聞社撰定行進曲大東亜戦争・海軍の歌/朝日新聞社献納大東亜戦争・海軍の歌